コインサイドに生きる

広島で心理士をしています。心理のこと、趣味のこと、その他色々気付いたことを書いていきます。

援助者であること

こんばんは。今日はジムに行って家に帰って本読みながらダラダラしてたらこんな時間…ギャンブル依存症のことはまた書けませんでしたが、1日1ブログは継続していきたいと思います。

アディクション(嗜癖のこと)の本を読んでいて書いてあったのですが、「なぜあなたは援助者になったのか、自分の生育歴に遡って考えてみることが大事」ということを少し考えてみました。自分の苦痛は横に置いて、あなたはなぜ他者の痛みに寄り添う職業についたのか。とてもやりがいのある職業ですが、一歩間違えれば自分が病んでしまうことも少なくありません(そういう人を何人か見てきました)。自分が傷ついてもう辞めたいとなった時、この苦しみの根源となるものは何なのか、ということを思い返してみることは、援助者として成長する大きな一歩なのだと思います。



私は中学の頃からどちらかと言うといじめられっ子で(まあいじめとまでは行ってなかったと思いますが…)、親には全く学校の話はしたくなかったし、言えなかった。勉強だけは割と出来たのでそれをプライドにして、でも出来てもあまり周りからは褒めてもらえなかった。むしろ出来なかったらガッカリされるのではと不安で、よく出来たら喜びというよりほっとした気分になっていました。

こういうことが影響しているのか大学院に入るまでは悩みがあっても誰にも相談することはほとんどなかったし、そういう選択肢がそもそもなくて、自分で解決しなきゃいけないと思っていました。「こんなこと相談したらガッカリされる、なんてダメなやつだと思われる」と考えていました。

まあ大学院には入ってからはそれだと二進も三進も行かなくなって信頼できる人に相談したら事が上手く進み出して、「ああ、相談するのっていいことなんだ!」と今更気付く援助職。


他にも色々ありますがこれ以上書くと時間食われて寝る時間が無くなるのでこの辺で止めておきます。とまあこのように、過去を振り返って今に影響していることはたくさんあるのではないでしょうか。それはマイナスの影響のこともあればもちろんプラスのこともあるでしょう。

例え医者とかソーシャルワーカーとかカウンセラーじゃなくても、友だちが困ってたらどうにかしてあげたいと思って話を聞いたり行動したりする、それは立派な援助者です。もし援助者であることに疲れたら、昔の自分を振り返ってみると、何かヒントがあるやもしれません。